吉佐美上条の大屋の裏山に小さな祠がある。村の人々は、オテンパクサマと呼んでいる。
 昔のことである。立派な身なりの一人の武士が大屋に尋ねて来て、しばらく逗留したいとの事であった。当時上条の大屋は村でも指折りの財産家であったので、色々な人が尋ねて来ては寄食する事も珍しくはなかった。
 それから数日後、お上からの御布令が出て、「落武者が此の村に入ったので家探しをする。かくしだてをしてはならない。」
と一軒一軒をしらべて廻っていた。大屋にも布令は達せられた。
武士は動ずる色もなく落ち着いて「長々御厄介をかけました。
これ以上御宅に迷惑をかけては」と、旅立つ支度をしたが、村には役人が入り道の辻辻には見張りが立っているので、出るすきもなかった。
 大屋の裏山には雑木に混じって常緑の松・杉・樫や椎が茂っていたが、その中に一本大きな橙の木があった。追手の役人達は虱潰しに調べて大屋に来ると、縁の下から天井裏納屋の隅々まで探したが、遂に武士を発見する事は出来なかった。
致し方なく役人達は表庭に集って、次はどこを探すか打合せをし、引き上げようとした時に、一人が屋根越しの橙の葉が風もないのにゆれている。「それっ!!」と橙の木の下に駈けつけると弓を射かけ、槍をつきあげ、遂に武士はこゝで殺されてしまった。
 大屋では、この非業の死を遂げた何者とも知れない武士のために、その霊を祀って小さな石の塔を立てた。橙の木もやがて枯れた。その橙の木の跡に武士の霊を祀ったのが、このオテンパクサマで、小さな祠を建て中に小さな武士の彫刻が納められている。以来このオテンパクサマの森の木は一切伐ってはならず、枯れ枝を焚いても火の崇りがあるからと、枯れれば枯れたまゝにしてある。現在も二人でやっと手が廻るような大木が枯れ朽ちるに任されていた。
下田市の民話と伝説 第2集より