婆娑羅山(608メートル)は県道下田松崎線の中間に当り南伊豆を東と西に分ける境となっている。延徳三年(1419)10月6日伊勢新九郎(後に北条早雲)は中伊豆の堀越公方を滅した余勢をかって、松崎街道を南進、この婆娑羅峠から下田に攻め込み、堀の内の深根城の守将関戸幡摩守吉信を下した。
 婆娑羅山はその昔弘法大師が婆娑羅三摩耶を修した霊場で仏法有縁の地として知られ、「婆娑羅山」の名もそれから出ているが、又こんな詰もある。
むかし近くの村の男が父親を背負枠(しょいこ)に背負い一人の子供を連れてこの山に登った。習慣に従って親を捨てるためである。男は父を山中において「さあ帰ろう。」と子供を促して帰り出した。
 子供は泣出して捨ててあった「しょいこ」を取って肩にかけた。「何をするんだ。そんな物ア捨てて行け」と言った。子供は泣くだけで黙って男の後について歩いた。どうしても「しょいこ」を捨てないので男は怒り出し「親が60になれゃー皆捨てられるのだ。これはずーっと昔から皆がやって来た事で、爺さんも承知の上の事だ。俺一人の考えでどうする事も出来ん、「しよいこ」はその場に捨てる事になっとる。持って帰っちゃならん。」と言ったら子供は「お爺ちゃんは、いつも私を可愛がってくれたもん・・・・こんどは私が大きくなってお父ちゃんを捨てねばならんで、その時使うため持って帰るんだ。」と言ったので、男はガツンと頭を打たれたようになり、「俺はとんでもない事をした。負うた子に教えられるとはこのことだ。人に何と言われようと捨てちゃあ置かれん。」と急いで山へ引き返した。
 見ると父親は岩の上に端座してじっと眼を閉じたまま一心に婆娑羅経(金剛経)を誦していた。
 男は父親に深く詫びて、又父親を背負い子供の手を引いて三人仲よく家に帰って来た。それからはこのあたりには年をとった親を捨てる者はなくなったという。

「下田市の民話と伝説 第1集より」

提案理由:婆娑羅山の伝説が違った形で伝わっていることを危惧するため
追加情報:昭和50年に下田市教育委員会が発行した「下田市の民話と伝説第1集」に掲載されています。
分野:自然