共通市章

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13.伝説「ひっぱり焼きの十左衛門」

ひっぱり焼きの十左衛門
 むかし、婆娑羅山の加増野峠にはいたずらものの古狐がすんでいた。稲生沢川の上流の相玉から峠を越えて大沢に通る馬子たちは、よくこの狐にだまされて馬鹿な目にあってみんな弱りきっていた。峠近くなるときれいな若い娘がでて来て、道に迷って因っているから馬に乗せてくれという。気の毒に思って馬に乗せてやり、やがて天神の森のあたりまで来たかと思うと、いつの間にか馬の背中には誰もいない、そのかわりもっこに乗せた大石がふり分けにのっかっていてその重みで馬がまいってしまう。馬子たちはかせぎをフイにされた上、馬がのびてしまって二、三日は仕事も出来ないという有様だった。
 その頃、相玉に藤原口の大家という旧家があった。家は代々庄屋、名主を勤め姓は藤原、菩提寺の大梅寺へ寄進した欅の総門には菊の花の御紋が刻してあったという。相玉で後藤姓を名乗っているのはみなこの大家の分家だそうである。
 藤原口の分家に十左衛門という頑固な老人があった。なかなか元気が良いので評判の人だったから、こういう話を開くたびに、人間さまともあろうものが、狐にだまされるなんてと笑っていたが、「ゆんべ(昨夜)も加増野峠で松五郎どんが化された。
その前には駄賃馬の吉兵衛爺さんがひどい目にあった。」という噂が十左衛門の耳に入って来た。その後も太十が、書助がと、これでは棄てておかれない。いたずら狐をこらしめてやろう、とっつかまえてひどい目にあわしてやろうと決心した。
 或晩、十左衛門は馬を引っぱって加増野峠へ出かけて行った。
昼でも暗い山道は、ふかい木立の上にわずかに星のまたたきを仰ぐばかり。このあたりと思う所に来ると、彼はもと来た方向へ馬の向きをかえて一休みした。やがて静まりかえった夜の山道を馬と一緒にポクポクザクザクと歩き出した。「やっこさんも、そろそろ出そうなもんだな。」と思っていると「もしもし」という女の声、「そら来た!」と心の中で笑いながら「ハイハイ何ぞご用で・・・」「道に迷って難儀をいたしておりまするもの、どうか里までその馬に乗せて下さいませ」という。星月夜に浮んだ白い顔が美しい。
 「それゃあそりやあお気の毒な、里まではまだ大分ある。どうせ帰り馬だ、さあさあお乗んなさい。」と女を乗せると「道がわるいし、馬があばれるとあぶないから、しつかり鞍へ結いつけてやりましょう。」と用意した荷綱で女の腰のあたりを幾重にもぐるぐるまいて鞍にかたくしばりつけた。「どうか鞍にしっかりとつかまっていて下されや。下り坂はあぶないでなあ。」と親切そうに言いながら馬の口をとってトットッと走り出した。
 やがていっとき、暗い道もすぎて遠く里の灯がちらほら見えはじめると、馬の上では女がしきりともじもじしはじめた。「縄をとこうとしている!」十左衛門は知らん顔をして更に馬の脚を早めた。やがて狐がいつも消えるという天神の森に近づいて来た。「もしもし馬子の親方さん、あの、もう、ここで結構でございます。どうかおろして下さい。」と女がひたもがきにもがくのを、「なんの里まではもう一走りじや、それに、その縄はとくのがなかなかめんどうだで、もうちっと里まで辛抱なされや。」と尚も馬を急がせる中に、とうとう自分の家の庭に引きこんだ。
 「これ、婆さんや!珍しいお客さんを連れて来たぞ!さっき言っておいたものを早く持って来い。」といって用意してあった松葉と唐辛子を庭先に積んで火をつけた。もうもうと煙が立ちのぼる。松葉のぶすぶすもえいぶるのと一しょに唐辛子のからい煙が庭一パイに立ちこめた。人も馬も顔をそむけたが、馬上の女はいよいよもがき苦しんで大きく悲鳴をあげたと思うと、とうとう狐の正体を現わし耳までさけた口をかっと開いたかと思うと縄をかみ切って逃げ出した。
 「おのれ、逃してなるものか。」と十左衛門が天秤棒を振り上げた時にはもう女の姿はなかった。「やれやれ惜しいことをした。
畜生めー」とつぶやく耳元に間の中から「おほえていろ!ひっぱり焼きの十左衛門やーイ」という声がきこえた。
 それからは加増野峠で化される人もなくなり、狐の噂も消えたが「ひっぱり焼きの十左衛門」という彼のあだなばかりはいつまでも残された。
下田市の民話と伝説 第1集より
 更新日:2007/04/01
 
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